バレンタインデーは明日ですが、チョコレートを渡すのでなく

tyokore

バレンタインデーが近づいてきますね。

明日あなたは女性からチョコレートをもらえるでしょうか。

私にとってチョコレートは義理も本命もありがたいものです。

でも「チョコレート」をもらうのでなく、「愛」を確かめ合うのです。

愛に義理も本命も関係ありません。

 

愛の確認をする手段

チョコレートは愛を確認する手段として使われます。

だからチョコレートじゃなくてもいいのですね。愛とは何か、これほど難しいものもありません。

愛は「人をいとおしいと感じる気持ち」です。行動するに従い、相手を大切に思います。

しかし「自分があなたを愛しているから」という気持ちを押し付ける。

すると押し付けられた相手から「いや、もういいよ」

拒否されることもあります。

愛の難しさはここにある。いくら私があなたの今後を考えてあれこれしても……

あなたはそこに気づかず、むしろうんざりする。

「いいよ、もうほおっておいてくれ」

 

愛するって自立だ

人を愛するということは「自立した一人の人間」として相手を見ることです。

反対に「その人を何でもかんでもしないと、自分がいてもたってもいられない」

状態を依存といいます。これかなり危険です。

自立するからこそ、不安なことがあっても見守るのですね。

そして時に道を踏み外しそうになったら「アドバイス」を上げる。

アドバイスは「人を変える言葉」ではありません。

人を変えるお手伝いでございます。自分が相手を変えるのでなく、あくまでもお手伝い。

自分を変えることができるのは自分だけ。

ここがわかっていないと、相手に何でもかんでも依存してしまうのです。

 

バイオリストが

あるバイオリストが自分の子供のゲーム機をしつけと称して壊す。

それを立派な子育てとして東京新聞が載せていました。

結果、彼女は猛烈な炎上を食らったのです。

私たちから見ると、彼女の行為はとても愛しているとは言えない。

しかし彼女から見れば子供を愛しているのです。

愛しているからこそ、壊すという行為に発展した。

愛するために無理やり取り上げると、歪みが生じます。

歪みが生じると、信じられなくなるのです。

そこから子供は親に対して愛することができなくなる。

ある意味虐待に近いですもんね、あれ。

自分の行為ほどわからないものです。

だからこそ愛について、バレンタインをきっかけに考えてみるといいでしょう。


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